チャイナタウンにあるスリ マリアマンはシンガポールに来るツーリストが最も目にするであろうシンガポールにおける最古のヒンズー寺院。
東インド会社がシンガポールに取引決済を設立してから8年後の1827年にナライナ ピライによって建てられた寺院。
ピライはペナン出身の政府事務官で、1819年5月に2度目の島訪問でスタンフォード ラッフルズ卿と共にシンガポールに到着。ピライは島に最初の建設会社を設立し、繊維貿易にも参入。急速にビジネスの地位を確立し、インドのコミュニティのリーダーとして識別された人。
1860年代初期の寺院↑
神殿の敷地は1831年に私有地が神殿に寄付されたときに拡張され、現在の構造の大部分は、1862年から1863年に建設されたと考えられていて、既存のレンガ造りの最も古い部分は1843年にまでさかのぼり、その後、寺院の歴史の中で様々な追加と変更が行われた。
寺院の初期には住むところのないインド系移民に寺院の一部を開放していて、当時は結婚式を執り行う僧侶がいる唯一のヒンズー教寺院でもあったそうだ。
1890年代の寺院↑
本殿の正面玄関を結ぶ歩道はもともとは屋根付きだったけれど、1910年の火災で破壊され。スワン&マクラーレンの建築事務所に寄って1915年により恒久的な歩道を設けたそうだ。
スワン&マクラーレーンと言えば、あのラッフルズホテルを設計した建築事務所。
写真を見る限り1938年↑には現在の形になっている。まだリキシャが通りを走っている頃。
南インドのドラヴィディアン様式で建てられた寺院の主神が母なる女神スリマリアマンで、女神の治癒力を頼りに多くの信者が訪れたそうだ。
コロナ以前は扉はいつも開いてて、寺院の前を過ぎると、中をのぞく事が出来たのに、今は扉が閉まったまま。
寺院の後部に位置する3階建てのアネックス。パゴダ通り側にエントランスがあって、ここは設備の整った講堂、結婚式、マルチメディアプレゼンテーション、企業会議、セミナー、文化イベントのための施設だそうだ。
この寺院では毎年10月か11月に行われるティミティと呼ばれる火渡りの儀式が行われるそうで、信者は熱い炭の上を裸足で歩いて神への信仰心を示すのだそうだ。
以前にモノクロの映像をテレビで見た事があったのだけど、いつか見学してみたいなぁ~~
※セピア色の写真はSingapore A Pictorial History 1819-2000より拝借
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