モスク通りは文字通りに、ジャマエ モスク(またはクリア モスク)にちなんで名付けられた通り。
この通りには金貸しや小さな商人として働いていたマレーや南インドのイスラム教徒が住んでいて、モスクは1830年から1835年にかけて彼らの宗教的ニーズに応えるために建てられたもの。
後に客家や広東人もここに集まってきて事業を立ち上げたため、多様なコミュニティになったそうだ。
レストランを開いたり、宝石商や仕立て屋そして この地域には厩舎があり、馬を扱って生計を立てている人もいた。
貧しい客家移民は中古品、特に紙や金属くずを取引するためにやって来て、リサイクルされた材料を販売していたりした。
段ボール箱でその場しのぎの人力車を作ったりもしていたとか。(勿論大雨で直ぐに使用できなくなったのは言うまでもない。)
1930年代、政府は都市開発の為にモスク通りの土地の一部を取得。シンガポールで最初の公営住宅を建てた。
この住宅は4階建てで、各階に6つのアパートがあって、1つのキッチンと2つのバスルームを共有。居住者の多くが近くのオフィスやクリフフォードピアで働いていた中国人とマレーの公務員だったそうだ。
今はリーズナブルな価格のブティックホテルPorcelain Hotelになっている。
その向かいにもモノと言うモノトーンのファサードが綺麗なホテルがあった。
ここの43番地は広東の伝統的な月餅で有名なお店だそうだ。
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