エルギン橋から西へと続く通りがサウスブリッジ通り。
ニール通りから続くこの通りを西から東、エルギン橋へと歩いてみた。
人力車のメインデポの後ろにそびえるのはHDBのピナックル。
Buddha Tooth Relic Temple
唐朝期の建築様式で建てられたお寺で、ミュージアムも中に併設していて、屋上庭園があるらしい。
ここにはシンガポールで最初の蒸気トラムが走っていたのだそう。
1886年蒸気トラムは市民の最初の公共交通機関として開通したけれど、2階建てのトラムは上が開いていて、乗客は太陽の日差しが眩しい中座り、トラムの頂上から煙と蒸気が噴出し、混雑し汚れた通りには歓迎されなかったそうだ。
更に人力車がより安価でより便利でより簡単に利用できる輸送手段だった事から蒸気トラムはすぐに衰退し、燃料費が高く諸経費が多かった事もあって1年以内に停止された。
次に電気を燃料とした路面電車が登場したのが1905年。
しかしこれも快適なファーストクラスシートを持って大成功を収めた人力車に敵わなかった。
結局、電気トラムは蒸気トラムと同じ運命に苦しみ、トラム会社は閉鎖された。
シンガポールは信頼性の高い公共交通機関に対する差し迫ったニーズを満たすために1925年にトローリーバスが導入された。
トローリーバスは路面電車よりもはるかに優れていて、第二次世界大戦まで使用され続けたそう。
サウスブリッジ通りがクロス通りと交わる交差点。今ここにホテルが建設中。
その斜め前にある本型のモニュメント。(島内には同じ本型したものが幾つかあるけれど、どれも戦争に関するもの)
ここは日本軍がシンガポールを制圧した後に所謂華僑静粛として、検問を行った場所の一つ。
他にもアラブストリート、カントンメント通り、リバーバレーとオーチャードの交差点付近等々がある。
クロスストリートを渡ると昔の建物は壊され、その代わりにモールやオフィスビルにHDBが立ち並ぶようになる。
その中に、Chin Chew streetと呼ばれていた通りがあったのがここ。
かつてシンガポールの建設現場の主な労働力源であったサムスイ女性はチンチュー通りとアッパーチンチュー通りにも多く住んでいたそう。彼女たちは独特な赤い頭巾が特徴でシンガポールの歴史でも良く登場する。
頭巾の種類は2通りあって、正方形の頭巾は建設業の労働者である事を意味し、先細の頭巾は港のドックの荷役作業員であることを意味した。
働き者だったサムスイの女性は労働者として働く傍らに建設現場から廃材を回収し、木材や木炭として販売していたりしたそう。
↑上を見上げればHDBの窓からたなびく洗濯物。
彼女達の人生の唯一の目的は中国にいる家族を十分に養えるお金を稼ぐこと。
他の中国人移民と同様にサムスイ女性達も最終的に中国に戻る事を望んでいたけれど、ほとんどの場合は叶う事のない夢で、大多数が中国に残してきた夫や子供たちに二度と会う事はなく、チャイナタウンの窮屈な地区で貧困生活を送っていたと言う。
カナル通りを渡るとボートキーエリアになって、建物はまた低層のショップハウスが付近に並ぶ様になる。
でもほとんどが戦後1950~1970年代のモダンスタイルでファサードにアンテナみたいなポールが付いた物が多い。
シンガポールは持ち主やテナントが変わっても、建設当時のままのロゴが残っているのがほとんどの様に見える。
エルギン橋を渡ると道はノースブリッジ通りとなる。
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