ゲイランの歴史はシンガポール川沿いのフローティングハウスに住んでいたマレーとOrang Lautオランラウト族(海の人々)がシンガポールにいた時代にまで遡る。
彼らは1840年代頃にイギリス政府によってゲイラン川沿い東部の田舎に移され、高床式のわらぶき屋根の小屋に住み、農業をしながら生活していたんだそう。
西部では中国人移民がカラン川とゲイラン川の間の小道に沿って中小企業や商店を経営していた。
後にアラビアからスパイス商人のアルサゴフ家のような起業家がやって来て、この土地を取得し、ココナッツパームとレモングラスを栽培するようになったそう。
ゲイラン通り沿いの目立つ看板、ゲイ ワールド ホテルは、道路の向かいにあった有名なカラン遊園地にちなんで名付けられたもので、元々はハッピーワールドと呼ばれていたそう。
1930年代から1970年代初頭に衰退するまで、ダンスホール、キャバレー、ショッピング、映画、ゲームを楽しむことができたと言う。
今回のゲイラン散策はクリスマス時期になるとオープンするゲイラン川近くのHenry Christmas Wholesalerの店からスタートし西へと歩いた。
ゲイランロードにあるショップハウスは、だいたい1920年代後半から1940年代初頭にかけて建てられたものが多く、高層ビルが一つもない街並みは今住んでいるシンガポールのダウンタウンとは大違い!空が広くて別の国にいるみたいで、ただどんよりした空模様が残念だ。
Gaylangはマレー語で”工場”を意味する様な言葉らしいのだけど、それよりももっとピッタリなのは(Orang Gallang)オランガラン族にちなんで名付けられたのではないかと言う。
彼らは川沿いのボートに住みながら海賊行為をしていた海のジプシーだったそうだ。
Lor34の小路には珍しくバルコニーがある家が並んでいる。ペラナカンや中国からの移民家族が居住の為に建てたものだそう。
ゲイラン通りに戻るとモスクがあった。
Lor28の小路
1910年代から1950年代にかけて、ゲイランはショップハウス、テラスハウス、さまざまなスタイルのバンガローの建築ブームだったそうで、アジア、ヨーロッパ、マレー、ペラナカンなどの文化が混ざったハイブリッド建築が出来上がったそうだ。
こちらはマレー風。
きっとゲイランの小路の中で一番綺麗なのがLor24Aだと思う。
シンガポールのカラフルなショップハウスで有名なジョーチャット等もそうだけど、シェアーハウスやアパートメントを経営しているFigmentが綺麗にリノベートしている。
ベルギーのタイルが4本の柱に貼られている。↓
修復前の建物はこんなに色褪せている。
1960年代の暴動、赤窓の歓楽街としての評判にもかかわらず、古風な趣を維持したゲイランは1991年に指定された都市再開発と保護によるものだと言う。
Lor25の小路
Lor11の小路
ファサードのディテールなど見ていくとキリがないほどだったゲイラン散策でした。
コチラのFigmentの建物も素敵です。↓
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