シンガポール歴史散歩@Club street

1890年代初頭に丘の上に建設された道路がクラブ ストリートとして知られるようになった。 それはそこに生まれた社交クラブやレジャークラブのおかげだと言う。

著名な海峡中国人ビジネスマンがビジネスを議論した排他的なクラブは1891年にプラナカンの大物によって設立され、実業家、一流の貿易商、蒸気船会社や銀行会社の長、そして医者や弁護士を含む裕福な人だけが入会を認められたという。 

新古典主義様式のビクトリア朝の別荘で、現在はオフィスとして使用されているそう。

そのお隣も立派な建物で、壁にはその当時を表している様な大きな壁画アート

ここ表札を見るとAMANとある。あのアマンリゾーツのロゴだ。

シンガポールに本社があると聞いていたけど、オーナーがロシア人のドローニン氏に変わっても本社はシンガポールなのかしら?それにしてもここがアマンのHQなのかな?

そのお隣は在住日本人たちに人気のイタリアン。Caffe Bがあって、ここにもちょっとした歴史があった。

シンガポール最後のPONDOK(共同宿泊施設)が1932年~2000年までここにあったと。

インドネシアのBawean島Gleam州から来たバウェア人移民の福祉施設の為に設立されたけれど、共同生活の習慣はそんなに長くは続かず、年々衰退していったけれど、PONDOK PERANKAN GELAM CLUBは引き続き会員の為に福祉サービスを提供したとある。

一度一つのクラブが成功を収めると追う様に多くの新しいクラブがクラブストリートに出現した。音楽協会やポエム協会、メンズクラブ等々・・・・・

その中でも、最も有名だったのは1895年のEe Hoe Heanクラブ。

福建省出身のミリオネア プラナカン ビジネスマン達のためのクラブで、ここに移る前はダクストンヒルにあったのを1910年にクラブストリートに移転、その後ブキットパソロードに移転し現在もそこにある。(右側、白×青の建物↓)

島内に何軒かあるお洒落カフェのMerciMarcelがあるのもこの通り。

モンスーンに吹かれて ~ Living in Singapore~

東京からエーゲの碧い海が輝くギリシャのアテネ⇒昔は魔都と呼ばれ今は摩天楼が聳え立つ中国の上海⇒チョコレートが美味しいベルギーのブリュッセル⇒そして常夏のガーデンシティ,シンガポールに移住してまいりました。夫婦二人暮らしのゆるりとしたライフスタイルです。昔から家の間取り図見たり地図を見るのが大好き!インテリアコーディネートや建築物も興味があるのでシンガポールではユニークなショップハウスを見て歩きたい

0コメント

  • 1000 / 1000