テンプルストリートは元々アルメディア通り(Almedia street)と呼ばれていた通り。
この通りが1908年に建てられた時に土地を所有していたホセ ダルメディアの息子でホアキン ダルメディア(Joaquim d'almedia)にちなんで名付けられたのだけど、市の委員はもう一つ他の通り名との混同を避けるために、その名前をテンプル通りに変更。
きっと通りの入口にヒンズー教のスリ・マリアマン寺院があるからだと思われる。
ちなみにもう一つの方は今も残っていて、 d'Almedia street はラッフルズプレイスにあるRepublic plazaが建つ短い通り。
ホセ ダルメディアはシンガポールでの最初のヨーロッパ人入植者の1人で、 1825年に家族と一緒にポルトガルからやって来た。
彼は貿易会社を設立、ポルトガルと中国の商品を販売し財産を築き成功を収めた。
1842年に彼はポルトガルの女王によってナイトの称号を得たそう。
彼はまた、海峡植民地の総領事に任命されたとある。
テンプル通りには、陶磁器や家庭用品を販売する多くの潮州の商人が住んでいたのだそう。
1940年代後半から1950年代半ばからこの通りでホテルやレストラン向けのプロ用キッチンツールと食器を扱う店として大成功した2つの店は今もここで生き残っている。
以前テロックアヤー通りにあったプラナカンタイルを扱うお店はこのテンプル通りにお引っ越ししてきた。
目移りするほどの沢山のタイルが陳列されていて、私はここでコルクが貼られたコースターを買った。
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