シンガポール歴史散歩@Ann Siang Road

ウォーリッチとアースキンの丘が都市開発で平坦になった後、アンシアン ヒルはシンガポールのチャイナタウンに残っている最後の丘。

地理的にアンシアン ヒルはチャイナタウンを2分割し、そこは主に最も裕福な福建省出身の中国人コミュニティの住宅街で、彼らの家は装飾的なファサードとテラスで有名だったそう。

最初アンシアン ロードは、開拓初期に丘の上に家を建てていたチャールズ スコットにちなんでスコット ロードと呼ばれていたけれど、1890年代の初めに丘を所有していたChia Ann Siang にちなんでそれ以降Ann Siang Road として知られるようになった。

彼はマラッカ生まれの裕福な福建省出身の中国人実業家。

10代の頃、彼は英国の企業で働き始め、そこで指導的立場の地位までに上り詰め、木材事業でも成功! 1890 年に退職し、その後はアンシアンヒル地区の土地に投資してショップハウスを建設し、チャールズ スコッツの旧邸宅に住んでいたと言う。

彼は近くのアースキンヒルも購入していたそうだ。

当時の中国からの移民達はアンシアンの丘にある送金所を利用して家族に送金していた。

また、手紙を家に送りたいと思っても文字の書けないクーリー(単純労働者)に、代わって手紙を書く代筆家も送金所近くに居たと言う。

色んなデザインのプラナカンタイルが見られるのもこの通り。

歩いているとクラブ通りからも繋がっている様に思えるアンシアンロードには1950~1970年代ぐらいのモダンスタイルの建物も多く残っているのも特徴。

そのほとんどが同郷会の役割をしていたみたい

アンシアン ヒルへの階段へと繋がる道の行き止まり付近にあるのが宇陽会館。

宇陽会館は1822年に設立された中国の一族の協会。

1820年代初頭にシンガポールに移民した最初の中国人の内の一人であると信じられていたCho Ah Cheeが創設者で、広東省系移民を対象としていた協会だけど、始めはCho Ah Cheeの故郷である広東省の台山群出身の人々の為に寺院兼集会所として運営されていたとある。

その役割は徐々に拡大し、シンガポールの広東人及び、新しい移民の為の福祉、雇用、住宅、教育などのサービスをしていたのだそう。今はBarに変わっている。

モンスーンに吹かれて ~ Living in Singapore~

東京からエーゲの碧い海が輝くギリシャのアテネ⇒昔は魔都と呼ばれ今は摩天楼が聳え立つ中国の上海⇒チョコレートが美味しいベルギーのブリュッセル⇒そして常夏のガーデンシティ,シンガポールに移住してまいりました。夫婦二人暮らしのゆるりとしたライフスタイルです。昔から家の間取り図見たり地図を見るのが大好き!インテリアコーディネートや建築物も興味があるのでシンガポールではユニークなショップハウスを見て歩きたい

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