1800年代半ば、ダクストンヒル周辺は長閑なナツメグ農園だった場所。 それが19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アヘンと賭博場で有名な悪名高い通りに変わって行ったのだそう。
それは、タンジョンパガー通りに出来た人力車の駅のせいでもあると思うのだけど、
ダクストンロードとダクストンヒルのスラム街に住んでいた人力車のクーリー(労力)にとってはアヘンが吸えて賭博が出来る最高の場所だったに違いない。
※クーリー(労力)=アジア各地から来た移民の単純労働者
人力車を引くクーリー達が所属するグループ同志の争いもあって、このエリアはヤクザな世界、アンタッチャブルな世界へと変わって行ったと言う。
そんな通りの悪名にもかかわらず、過密で病気に満ちた古いチャイナタウンに嫌気がさした多くの裕福な海峡中国人とペラナカンの家族が少し離れたここに精巧に設計された住居とショップハウスを建てて占領したのだそうだ。
今では静かな瀟洒な通りになっていて、私の好きな通りの一つでもある。特に横道に入った石畳の場所は行き止まりになっていて、素敵なファサードの家が並んでいる。
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