今回の歴史散歩はテッロクアヤー。
アモイ通りと並行に走る通りのテロック アヤーはマレー語でFresh water bayを意味する。
シンガポールでも最も古い通りの1つ。
ラッフルズは中国人が最終的にシンガポールで最大の単一民族コミュニティーを形成すると予想していたそうだ。なので、ボートーキーを超えてシンガポールの南全域が彼らの地区として当時は確保された。
当時のシンガポールのコーストラインは全く違っていて、今ラッフルズがあるところは小さな岬で、南へと伸びて大きな港だった。
その港がテロックアヤーと呼ばれていて、チャイナタウンはビーチと海があるこのテロック アヤー通りから内陸へと発達し、南の限界地がウォーリッチの丘だった。
1870年、Wallichの丘から見るTelokAyerBayとCollyer Quay。↑
今ではその丘もすっかり開発され、Wallichと言う住居兼オフィスの高層ビルが建って、シンガポールでも最も背の高いコンドミニアムらしい。
以前にこのコンドの内見に行ったのだけど、ルーフトップにプールがあったのを覚えている。新しくて良いのだけど、各部屋が狭かったのよね・・・(今度記事にしてみよう!)
ダイソンの社長が住んでいるとかいないとか?・・・・・
1920年代のテロックアヤー通り。この地域は初期のころから密集して混雑していたそう。
1970年のテッロクアヤー通り。↑
中国からお茶を始め色んなジャンクな物が届き、この界隈はコマーシャルエリアとして知られていて沢山のヨーロッパの商人たちが店を出していた。
地の利を生かし、海側を向いて倉庫があり、そこで荷揚げされた品が広場に向いていた店先にすぐに並んでいたらしい・・・・
19世紀の末頃まで、沢山のモダンなオフィスとショップを兼ね備えた2階建てのショップハウスがここにあったそうで、この通りの家は華やかな装飾よりも漢字だけのクールな感じに思える。
元中医だった有名なカフェがあるのもこの通り
沢山の宗教関連の施設が建てられて、今でも残っているのもこのテロックアヤー通り。
福建の人達に寄って1840年に建てられたTian Hock Keng寺院
正面の製箔ドラゴンなどは中国から持ってきたものだとか・・・・
1870年代の写真↑&↓
このパゴダの傍らはミュージアムカフェになっていて、ローカルな食事が食べれる。
インドからの移民達も彼ら専用の寺院を建てた。テロックアヤー通りとブーンタット通りとの交差点にあるのがナゴールダルガー寺院。
今はインディアン モスリム ヘリテージ センターになっていて、オリジナルが建てられてのは1829年。
Boon tat通りはビジネスマンのOng Boon Tatから来ている。彼はアミューズメントパーク、レンガ製造業、ゴム畑の所有者でもあって、この通りは昔はJapan Streetと呼ばれていたのだそうだ。
この通りの家は19世紀半ばに建てられたもので、装飾などのない至ってシンプルなデザイン。
ローカルなカフェの店内にセピア色した写真がパネルになって飾ってあった。昔のナゴールダルガー寺院とテッロクアヤー通りだ。
再びテロックアヤー通りに戻ると、直ぐ角にYing Fo Fui Kun。
應和會館(応和会館)は1820年代初期にに寺院として建てられたもの、後に福建省の客家移民者達とのコミュニティーとして使用され、一階は集会所、二階は開帝が祀られていた。
Fuk Tak Chi寺院
1820年代に建てられたシンガポールでも最も古い中国寺院の一つ。
こちらも上のYing Fo Fui Kunと同じで、寺院は客家及び広東の移民達に祈りの場又はソーシャルミーティングの為の場として1994年まで利用され、クローズしてからはミュージアムになっている。
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